記事: Jiro Fujita (Art Director / Graphic Designer) Interview Part 2
Jiro Fujita (Art Director / Graphic Designer) Interview Part 2

Chapter 2 —
——Nujabesさんとの出会いは、どのようなきっかけだったのでしょうか?
藤田:2008年、自分の誕生日に偶然メールが来たんですよ。それまで直接の面識はなかったんですけど、「ジャケットをお願いしたいです」って。
——初めてのやりとりが、誕生日のメールだったんですね。
藤田:そうなんです(笑)。で、そのあとすぐに事務所まで会いに来てくれました。
——それが初対面だったんですね。どんな雰囲気だったんですか?
藤田:はい。会ってすぐ、「藤田さんはCalmさん以降、代表作がないじゃないですか」って言われたんですよ。
——いきなりそんなことを…驚かれたんじゃないですか?
藤田:はい。でも「だから、一緒に代表作を作りましょうよ」と仰ってくれて。その時のことは今でも鮮明に覚えています。
——お話を伺っていると、それが1枚のジャケットではなく、複数枚だったとか?
藤田:そうなんです。その場で「4枚お願いしたい」って。1枚目が『modal soul classics 』、2枚目がUyama Hirotoさん、3枚目がKenmochi Hideomiさん、そして4枚目が自身のアルバムって。
——あらかじめ構想ができていたんですね。しかも、かなり具体的に。
藤田:全部、順番も含めてしっかり決まってました。「この4枚を通して一緒にやりたい」って言ってくださって。けど、実は4枚目(Nujabes自身のアルバム)の構想途中で亡くなられてしまいまして… そのとき残ってたメモが「陸・海・空」って3つのキーワードだけだったんですよ。最終的には、当時Nujabesのマネージャーだった小泉巧さんと一緒に完成させた感じです。
↓写真のメモは、藤田さんが当時のやり取りを思い出して描いたもの

——そこまで明確に託されるのは、相当な信頼があったんだと思います。
藤田:あとから聞いたんですけど、自分がCalmさんのジャケットを描いていたから、Calmさんの手前頼みづらかったともおっしゃられていました。
——その理由というのは?
藤田:Nujabesに「一番ライバルだと思ってる人って誰ですか?」って聞いたことがあって。その時即答で「Calmさん」って答えられたんですよ。「Calmさんのジャケットを描いてた藤田さんに頼むのは正直迷った」って。でも、「それでも合うと思ったからお願いした」って言ってくれて。
——その言葉は、とても誠実で、まっすぐな気持ちが伝わってきますね。
藤田:そうですね。ものづくりにとても誠実な方でした。
——お二人は制作以外の場面でも交流があったそうですね。
藤田:はい。ある日、急に「ラーメン食べに行きませんか?」って連絡があって。でも僕、そのとき仕事が詰まっていて、「すみません、今ちょっと厳しいです」って返したら、「じゃあ下で車で待ってます」って。
——え、事務所の下で…ですか?
藤田:そうです(笑)。本当に来てて。その日に思い立ったことを、絶対に実行したい人だったんでしょうね。
——その熱量は、作品づくりにも通じるように思います。
藤田:間違いなくそうです。たとえばフィーチャリングで誰を起用するかって話でも、「この人だ」って決めたら、絶対に妥協しない。その人を迎えるまで、絶対に引かないんです。
——その感覚が、ラーメンひとつにも表れていたと。
藤田:はい。自分の中に「今は藤田さんとラーメンを食べたい」っていう想いがあって、それをちゃんと形にしたかったんだと思います。話しながら何かを共有して、それをすぐ形にする。彼の行動って、すべてがそうでした。
——結果的に、そのラーメンはご一緒されたんですか?
藤田:はい。「まだ待ってます」って連絡が来て、根負けして(笑)。仕事を置いて抜けました。
——藤田さんとNujabesさん、お話を伺っていると、スタンスがかなり対照的に感じられます。
藤田:そうですね。僕はどちらかというと、一歩引いて考えるタイプなので。彼は常にまっすぐで、迷いがない。自分が感じたものに対して、とにかく一直線なんです。
——そのまっすぐさに、圧倒される部分もありましたか?
藤田:ありました。でも、同時にその熱意に惹き込まれていったところも大きかったです。
——実際の制作においても、妥協はまったくなかった?
藤田:本当に一切なかったです。「ここはこうしてほしい」っていう修正も、すごく細かくて。作品に対して、納得するまで向き合う人でした。
——アーティストとして、かなりストイックな方だったんですね。
——ちなみに、ミオンのスタッフに、Nujabesさんと接点のあった者がいまして……。
藤田:えっ、そうなんですか?
——はい。中村というスタッフなんですが、学生の頃に『ホットドッグ』って雑誌でNujabesさんが通っていたレコード屋を知ったのがきっかけで、手紙を書いたらしいんです。すると、ある日お母さんが「瀬葉さんって人から電話よ」って(笑)。
藤田:うわ、それすごい話ですね(笑)。
——で、渋谷の店まで会いに行ったら、すごく気さくに話してくれて。ただ、中村はNujabes=瀬葉淳と知らなくて、彼が亡くなったあとに「えっ、あの人がNujabesだったの!?」って驚いたそうです。
藤田:いや〜、有名無名に関係なく、ちゃんと返してくれるんですね。ほんとに。
——熱意に応える人だったんだと思います。
藤田:そこもまた彼らしいというか、まっすぐなんですよね。
Chapter 3 — 藤田 × 小坂(MION代表取締役)
AIと“好き”のゆくえ:藤田さんが見つめる、これからの表現
Kosaka:藤田さん、最近AIってすごく話題じゃないですか。実際、ご自身のお仕事ではどんなふうに使ってるんですか?
藤田:ChatGPTは使ってますよ。画像生成はやってないですけど、リサーチとか構成を考えるときのたたき台としては活用してます。
Kosaka:なるほど。業務効率化のツールとしては便利ですよね。ただ、画像生成とかになるとまた別の話になりますか?
藤田:そうですね、やってみたこともあるんですが、自分のイメージが固いせいか、どうにも思い通りにはならなくて。具体的なイメージほどズレが大きくなる感じです。
Kosaka:イメージが具体的な人ほど、相性が悪いってことかもしれないですね。逆に抽象的なテーマなら、海賊の画像とかはそれっぽく作れたりもしますけど。
藤田:そうなんですよね。だから、否定する気はまったくなくて、うまく使えるなら使ったほうがいい。ただ、いまのところ自分のスタイルには合ってないというか。
Kosaka:でも、藤田さんにはこれまで積み上げてきた経験があるからこそ、そう言えるのかなとも思います。96年からずっと続けてきてる“骨”があるわけで。
藤田:うん。それは大きいかもしれないです。でも、若い人たちには厳しい時代だなとも思います。昔なら小さい案件をやらせてもらって徐々に覚えていけた。でも今は、その最初のチャンスすらAIに置き換えられてる気がして。
Kosaka:ちょっとした案件で「これお願いできますか?」って頼むような場面で、もうDALL·Eでいいやってなっちゃうと、若手が経験を積めない。
藤田:そうそう。その経験が、自分の中の蓄積になっていくからこそ、骨ができるのにね。

Kosaka:最近、世の中が“似たもの”に溢れてきてる気がしませんか?
藤田:感じます。これはディスじゃないですけど、なんとなく「またこれ系か」っていうのが多くて。AIで何十パターンも出して、そこから選ぶっていうやり方が広がると、選ぶこと自体がディレクションになってきますよね。
Kosaka:それってもう、アートというより企業目線になってくる感じがしますね。
藤田:うん。そうなってくると、アーティストが「これが作りたいんだ」っていう気持ちがどんどん削がれていく気もする。
藤田:著作権の問題もありますよね。AIが生成した画像が、既存の誰かの作品に似てるっていう。
Kosaka:わかりやすい例だと、青い耳のない猫のロボットを生成したら、もうアウトですよね(笑)。でも、微妙にずらして「似てるけど違う」と言われたら、もう判断が難しい。
Kosaka:あれは本当にそう。ちょっと前まで、友達が家でギターでBGM録ってお金にしてたけど、今はオーディオストックやAIで代替できてしまう。味気ないけど、便利なんですよね。
藤田:それは感じますね。AIのBGMって、確かに80点ぐらいのがすぐできる。引き立て役としてなら充分なクオリティで。でも、そこに“誰が作ったか”っていう背景や想いがなくなるのはちょっと寂しいです。
Kosaka:だけど結局、ライブに行くとか、誰かと会って話すとか、そういうリアルな体験の価値がどんどん上がってる気がして。
藤田:そうなんです。僕もレコードが好きなんですけど、ああいう“儀式”って大事ですよね。針を落として、一曲一曲ちゃんと聴く。その行為自体が、自分の“好き”を確認するプロセスになる。
Kosaka:最近、何が好きかわからなくなってる人って多いと思うんですよね。
藤田:僕もそうでした。だからこそ、10代の頃に聴いてた音楽をもう一回聴いたりしてます。やっぱりグッとくる瞬間がある。
Kosaka:AIのおすすめじゃなくて、信頼できる誰かのおすすめってやっぱり強いですよね。
藤田:うん、自分が「これが好き」と思える、その感覚を持ち続けることが、人間らしさなんだと思います。